観察者失格。
お盆休みに入り、子供たちと会わない日々です。
畑仕事をしたり、本や映画を観たり、昼寝したりとのんびり過ごしています。
そしてふとした時に、子供たちは今頃何してるかなあ、なんて思ったりします。
何でしょうね、この感覚は…。
この仕事を始めたきっかけは「障害のある人たちと一緒に生きた方がいいよ。」というある方の言葉の真意を知りたかったからです。
言ってみれば「好奇心」なんですよね。
だから最初は障害のある子供たちを「観察」しているような感覚だったように思うのです。
障害のある人を支援したいとか、社会貢献したいとか思っていたわけではないんです。正直なところ…。
それがいつの間にか、「一緒にいること自体が楽しい」と思うようになっていました。
そうなるとただ「観察」しているなんて、勿体なくて耐えられなくなってきます。
身体全体で彼らの存在を感じてみたい、体感したいっていう感じでしょうか。
よくわからないけど、よくわからない魅力があるようなんです、彼らには…。
盆休みは今日で終わり、明日から仕事です。
また彼らに会えると思うと、なんか嬉しいんです。
祈り。
彼は日々の祈りを欠かしません。
そのスタイルは正座をした状態から床に額をつけ、両腕は真っ直ぐ前方へ伸ばし、手のひらも床につけます。
どこかイスラム教の礼拝様式にも似ていますが、実際に彼が何を信仰しているのかはわかりません。
そもそも信仰なのかもわかりませんが…。
「君は何に祈っているの?」と聞いてみたことがあります。
彼は八重歯を見せながら微笑んでくれましたが、答えてはくれませんでした。
愚問だったのでしょう。
そして彼がひとたび祈りのポーズに入ると、何人たりともそれを遮ることはできません。
無理に動かそうとしても岩のように固まってびくともしません。凄まじい集中力。屈強な柔道家でもこの状態の彼を寝技に持ち込むことはできないでしょう。
「おやつの時間だよ。」の声にも、くすぐり、か○ちょうにも動じません。
そして祈りが終わると、立ち上がり歓喜の声をあげながら柏手を打ちつつ、走りながらの高速ターンを決めるのです。
どうやら今日も神との対話は滞りなく済んだようです。
か○ちょうで神聖な儀式を邪魔しようとした自分が恥ずかしくなります。
手をつなぐ。
自然に人と手をつなげたのって、たぶん記憶に無いくらいの幼い頃だけだったと思います。記憶に無いのでわかりませんが…。
ところで彼らは実に自然に手をつないできます。
躊躇も戸惑いも感じさせず、世間の目なんてものも軽々と飛び越えて。
そんな風に人と手をつなげる彼らを、ちょっと羨ましく思うのです。
大人になるといろんなもの(でもそのほとんどは自分が作り出したか思い込んでいるだけかもしれないけど…)が邪魔をして、素直に感情や行為を表には出せなくなるように思います。
ただ手をつなぐ。
それだけのことが何でこんなにも穏やかな気持ちにさせるのでしょうか。
そしてひとしきり手をつないで、気がすむとふいっと何処かへ行ってしまいます。
その潔さもまた真似のできないところなのです。
叱ること。
時には子供を叱ることもあります。
やんちゃ過ぎて調子にのりすぎてしまったり、他の子やスタッフに対して手が出てしまったり。
そんな時はやはりそのままにしておくことはできません。
でも叱ることって難しいです。その子が何を思ってそういう行動をとっているのか、正確なところはわからないのです。
これは障害のあるなしとは関係ないのかもしれません。
全く別な価値観をもっているかもしれない相手に対して何かを強要することってどうなんだろう。自分の基準が正しいなんて保証がどこにあるのだろう。
そんなことを考えてしまうせいか、「叱る」というより「お願いする」になっています。弱腰ですね。
でも「叱る」ことが「脅す」ことになるよりは良いのかな、なんて思ったりもします。
子供にとって大人は圧倒的に強い存在だと思います。
力で強要されれば、いつかその子が大きくなった時に同じように他人を力で強要しようとするのではないでしょうか?
長い目で見た時にその子にとって最善の方法は何なのか、日々模索です。
つねくり。
彼女は「つねくり」の達人です。
もしかしたら方言かもしれないので、一応解説しておくと「爪を立てて皮膚をつねること」を言います。
彼女の「つねくり」はびっくりするほど痛いのです。ジーンズの上からでも効いてきます。急所を的確にとらえる術を心得ているのでしょうか。
それだけではありません。
手の動きがおそろしく速いのです。瞬時に何の気配もなくメガネをかっさらっていきます。飛び抜けた武術的なセンスがありそうです。
彼女は小柄で細身の自閉症の女の子です。
彼女と初めてあった時は戸惑いました。というのは「自傷行為」があったからです。自閉症の子供たちの中には自傷行為をする子が少なくありません。
彼女もそのひとりでした。激しく床に頭を打ち付けたり、自らの手足をつねった痕は痣になっていました。時にそれが他者に向けられることもあり、それが前述したものです。
最初は痛いのでいかに「攻撃」を防ぐかを考えて彼女と接していました。
その中でふと彼女の「つねくり」はもしかしたら何かの「確認行為」ではないかと思ったことがありました。つねっている時の感触が「安心感」をもたらしているのかな、と…。
そこで試しに好きなだけ「つねくり」させてあげようと思いました。
…が、あまりの痛さにすぐに断念しました。
ほんと彼女の技はすごいのですよ。…これは言い訳です。
しかし夏休みに入ったばかりのある日、見たこともない穏やかな表情の彼女を見ました。
「つねくり」を封印したかのように優しく手をつないできたのです。
これには驚きました。夏休みに入ったことでストレスが減ったからでしょうか。
今もどのように向き合っていけば良いのか、どのように接したら良いのか、明確なものはありません。
ただ、彼女のことを少しでも理解しようとする姿勢だけは持ち続けていたい、と思うのです。
暴れん坊少年。
ダウン症の子供と聞くと、穏やかでおっとりした感じを想像するのではないでしょうか?
少なくとも僕はそう思っていました。彼に会うまでは…。
小柄な小学生の彼は運動神経が抜群に良いです。いつも元気に走り回り、ボールを蹴ったり投げたり、常に動いていたいようです。
そしてとにかく負けん気が強い!ゆえに喧嘩早い!(笑)
ある時、他の子供とカルタ取りをしたことがありました。
自分が負けそうになると相手の子供につかみかかります。机の上のカルタをぐちゃぐちゃにします。
はい、終了ですよ。ルールは守りましょうね。
そして実際に負けた時には、顔を真っ赤にして口から泡を拭いて、呼吸困難になるほど泣いていました。
カルタでそこまで悔しがるとは…。子供の真剣さを侮っていましたよ。
ひとしきり泣いて落ち着きを取り戻すと、カルタをまたセッティングし始めました。こちらに読み札を渡して読むように促します。
この時は僕と彼のふたりです。
そうです。これはカルタの「自主練習」です。彼は実は努力の人でもあるのです。
すべての札を読み終えました。すべてのカルタを彼が取り終えました。
彼は勝利の雄叫びをあげ、天に向かってガッツポーズです。さながら決勝点を決めたサッカー選手のようです。
いや、勝ってないから…、などという無粋な突っ込みはしませんよ。
大暴れ。
中学生男子ともなると力があります。申し訳ないけど、大人ふたりがかりで対応です。
今日は大暴れです。そんな日もあります。
暴れ方は実に野性的です。叩く、蹴る、爪を立てる、噛みつく、叫ぶ。眼も血走っています。着ていたTシャツをびりびりに破いてしまいました。
この姿だけを見たら、たいていの人は怖いと感じると思います。
でも、少なくとも僕には内側からわいてくるエネルギーをどうにも押さえられないだけで、「悪意」のようなものは感じられませんでした。
彼を押さえ続けて、20分くらいは経ったでしょうか。ようやく彼も冷静さを取り戻してきました。そしてポツリとこう言うのです。
「ごめんなさい…。」
…実際、これが自宅で、お母さんひとりの時だったら止められないと思うんです。
だからと言う訳じゃないけど、綺麗ごと言うつもりもないけど、暴れるんだったらココで暴れておくれ。いつでも相手になるから。
彼の相手として不足のないように、カラダを鍛えておかなきゃね。