たんたんたんとした日々のこと

障害のある子供たちと過ごす日々のことを綴っています。

君の味方。

このところ福祉関係の資格を取るための研修を受けていて、ブログがすっかりご無沙汰になってしまいました。

研修は週に1~2日なので、それ以外は子供たちと会えています。

とある女の子はこのところ不安定な日々が続いています。季節の変わり目というのもあるのでしょうね。

この間は自分で何度も激しく床や机に頭を打ち付けすぎて、額に大きなたんこぶを作っていました。

今日も相変わらず激しくて、お迎えのバスの中でも窓に向かって頭を打ち付けようとするので、頭を抱きかかえるようにして隣に座らせました。

彼女の中では自分ではコントロールできない衝動があるのでしょうか。

周りの人に対しても爪を立てたり、髪をひっぱったり、噛みついたりしてしまうのだけど、彼女自身が一番しんどいんだろうなあ。

時折ぽろぽろと大粒の涙をこぼしてたりするんですよね。

ただ頭を撫でてやることしかできないのがもどかしいのだけど、君の味方はちゃんといっぱいいるよ、ってことは伝わって欲しい。

親御さんへ。

平日は学校に子供たちを迎えにいきます。

校舎の前で先生と一緒に立っている子供たちをふたりずつ、右手と左手にそれぞれつないで事業所の車まで連れていくのです。

距離的にはわずか20メートルくらいでしょうか。その日の子供たちの様子を見ながら、子供たちの歩幅で歩きます。

暑い日は暑いねー、雨の日は雨だねーとか話しかけながら。言葉を話せない子が多いのでほとんど独り言です。

でもこの時間がすごく好きなんです。

変な例えですが、思いがけずきれいな夕日や満月を見た時のような不思議な充足感があるのです。

しかしそれと同時にいつも思うことがあります。

この子達を育てている親御さんの苦労はどれほどのものだろう。自分は仕事でほんの数時間かかわるだけだから、こんな悠長な事を感じられるのではないのか。

実際、親御さんの中には心身の調子を崩してしまう方もいます。障害を持つ子供を育てるのはきれい事ではないのでしょう。

ただ、それでも子供たちと知り合ったことで、僕は幸せな気持ちになることが増えました。

それはまぎれもなく日々、子供たちを育ててくれている親御さんたちのお陰なんです。勝手ながら、そのことに感謝せずにはいられません。

子供たちを産み、育ててくれて有り難うございます。

このご恩を少しでも日々の仕事で返せればと思います。

うれしかったこと。

一日の活動の最後に、「おわりの会」というのがあります。

その日の感想を、子供たちが前に出て発表します。

その中で、ある子がこんなことを言ってくれました。

「○○さん(僕の名前)と鬼ごっこして楽しかったです!」

なんだかしみじみと嬉しかったという、それだけの話です。

まちがいさがし。

① 靴をげた箱から出す。

② 靴を履く。

③ 靴を脱ぐ。

④ 靴をげた箱にしまう。

⑤ ①に戻る。

 

今日の彼はこの一連の動作をさっきからずっと続けています。

 

彼は自閉症で物事に対し、自分なりのこだわりがあります。ひとたびそのモードに入ると、こちらの呼びかけは聞こえなくなるほどの集中力を持っています。今日は靴の出し入れが彼のお気に入りなのでしょう。

 

傍らでその様子をずっと見ていて、僕自身のやっていることも似たようなものだな、とふと思ったのです。

 

一日の行動っておおよそ決まってませんか?

 

決まった時間に起きて、決まった時間に会社や学校に行って、といった具合にスパンが「一日」か、それとも彼のように靴の出し入れの「数十秒」かの違いだけ。

 

その差は大きいでしょ、って思うかも知れないけど、それは自分の視点で見ているだけで、例えば宇宙人とかが見たら人間ってのは同じことばっかりやってるな、って思うんじゃないかな。

 

障害のある人を見る時に、つい「違い」を見てしまうのだけど、実は同じところの方がはるかに多かったりするんじゃないかな。

 

別にこれは障害に限ったことじゃなく、人種や宗教や国家でも「違い」の方に意識がいって、はるかに多い同じところが見えなくなってないかな。

 

そのことで「壁」をつくっているとしたら、なんかもったいないな、って思ったのです。

 

 

 

異文化コミュニケーション。

先日、外国で暮らした経験のある方と話す機会がありました。

その中で「文化の違い」というフレーズを聴いたときに、ふと思ったことがありました。

障害のある子供たちと接することも「障害」ではなく実は「文化の違い」に触れているのかな、と…。

そもそも文化が違えば価値観や習慣が違っても当たり前ですよね。

外国へ行く人だったら、「文化の違い」に触れること自体が楽しみのひとつなのではないでしょうか。

「お尻がかゆい」と思えば、人前だろうとパンツを下ろしてボリボリ掻いたって、そういう文化なのかもしれない。

さらには僕の手を取って、お尻を掻くようせがむのも文化が違えばありなのかもしれない(笑)

「障害」と捉えると、どうしてもマイナスな印象が伴うように思いますが、「文化の違い」と捉えることで大きく印象は変わるのかもしれません。

郷に入れば郷に従え。

お尻は掻くけど、ち○ち○は自分で掻いてくれ。

長いあいさつ。

おなじことを会うたびに話す女の子がいます。

女の子 「クルマまえのる」
 僕  「前に乗りたいの?」

女の子 「ベルトかんでたべる」
 僕  「シートベルトは噛んで食べないでね」

女の子 「ガラスばしばしたたく」
 僕  「ガラスは叩かないでね」

女の子 「ゆかでごろねする」
 僕  「床では寝ない方がいいかな」

女の子 「くつなげる」
 僕  「出来れば靴は投げないで欲しいな」

女の子 「こなこなする」
 僕  「コ、コナコナ? コナコナもしない方がいいかな。…たぶん」

だいたい毎回、こんな感じです。

他にもパターンはありますが、これを一日の中で何度もやりとりします。

楽しそうでしょ(笑) 

ところで、これは彼女の中では「あいさつ」みたいなものなのかなって思うのです。

言葉のひとつひとつに意味があるというより、相手と言葉を通してその場を「共有」している感じ。

…大袈裟かな? 

でも「お早う」とか「こんにちは」って挨拶するとき、言葉の意味を伝えたいわけじゃないでしょう?

その瞬間のお互いの存在を認めるための行為なのかなって思うのです。

お互いに、ここにいて良いんだよって。

それを彼女は一言ではなく、長い言葉のやりとりを通して行っているのかなって。

これってとても「贅沢な時間」だと思うのです。

…それにしても「コナコナ」って何だろう?

感謝。

子供たちを連れてお菓子屋さんにアイスを買いに行きました。

ところが店に入った途端、ひとりの自閉症の男の子がパニック状態に…。

大声をあげながらその場にしゃがみこみ動けなくなってしまいました。店の外へ連れ出そうにも暴れて言うことを聞いてはくれません。

…困りました。

とりあえずお店の商品や他のお客さまに迷惑のかからぬよう、スタッフで取り囲み、なんとか落ちつかせようと試みます。

しかし一向に落ち着く様子もなく、むなしく時間が過ぎていきます。

でも今回はお店のスタッフの方に本当に救われました。

平謝りのこちらにこんな風に言ってくださったのです。

「大丈夫ですよ。一番大変なのはその子自身ですものね。」

そしてなんとか彼を外へ連れ出し、改めてお詫びをした時には…。

「気にしないで、また来てくださいね。」

こんな言葉をかけていただけるとは…。

感謝しかないって、こういうことを言うのでしょうね。